【多文化共生】在日外国人から見た日本の課題は?

 

いまの日本は少子高齢化の真っ最中。
働き手が少なくなって税収が減ったら、未来の日本人がいまと同じ生活水準を保つことはむずかしい。
それでこれからは、外国人にも働いてもらわないといけないわけだ。
すでにコンビニや牛丼屋では、外国人スタッフがあたりまえのようにいる。

今年4月から外国人労働者の受け入れが拡大するということで、国や地方自治体が日本語教育の充実を図っている。

いまの日本には、小中学校に通っていない外国人の子供が約1万8000人いると見られている。
不就学の理由は「お金がない」が一番多くて、「日本語がわからない」が次に続く。
こうした子供の約6割が家にいて何もしていないという。

そんな状況があるから、朝日新聞がこんな社説(2019年3月1日)をのせている。

外国人の就学 等しく学びの保障を

ここで参考例として挙げているのが浜松市の取り組み。
浜松には南米から来た日系人など約2万4千人の外国人がいる。
学校に通わない外国人の子供をゼロにしようと、浜松市は母国語のわかる日系人スタッフを活用してこんな取り組みをした。

就学手続きの手助けに加え、親には多言語対応のハローワークを紹介するなど生活全般で支援を続け、2年で目標を達成した。その後も転出入の確認や定期訪問を重ね、「ゼロ」をほぼ維持しているという。

 

浜松市民として、これは市長グッジョブ。
学校に行かず日本語も分からないままでいると、実際のはなし、犯罪に走りやすくなるだろう。
だから、本人のためにも日本人のためにもこういうサポートは必要だ。

 

 

これからの日本は多文化共生待ったなし。
ということで課題は、外国人が日本語を身につけること。

朝日新聞の社説の2日後、今度は読売新聞がこんな社説(2019/03/03)をのせていた。

日本語教育 外国人の社会適応に不可欠だ

今後日本は、5年で最大34万人の外国人労働者の受け入れが見込まれている。
外国人が孤立しないで地域社会に溶け込むためには、日本語能力が欠かせない。

カギを握るのは、日本語の習得だ。新資格を得るには、日常会話程度の語学力が求められる。来日後も職場の協力を得て、能力を高めていくことが大切だ。

 

読売新聞が目をつけたのは公立の夜間中学。
むかしは日本人が中心だったけど、いまの夜間中学では生徒の8割が外国人だ。
現在、8都府県31校にある夜間中学を、22年度には全ての都道府県で設置するという。

 

 

「これからの日本は外国人労働者の受け入れ拡大が必至」といっても、外国人と日本人には価値観や考え方、文化のちがいがある。

つい最近も、公園にいたカルガモを捕まえたベトナム人が警察に捕まった。
「日本の食事が口に合わなかったから、カモを使ってベトナム料理を作るつもりだった」と話しているとか。
このベトナム人には悪意がなく、文化や価値観の違いが大きな理由だと思う。
でも、日本で日本の法を犯したら、警察に捕まるのは仕方ない。
今後ベトナムに強制送還されることになっても、それが日本の法なら仕方ない。

ところで日本人と外国人の共生で、在日外国人はどんなことが課題と思っているだろうか?

朝日新聞の社説と同じ日、静岡県の多文化共生課のウェブサイトにある「静岡県の活躍する外国人県民」に、浜松に住む日系ブラジル人のインタビューがあった。

「日本人と外国人の寄り添う心」

 

この人は日本人の夫と結婚していて、いまは市内の学校で生徒や保護者の通訳、障害のある子どものための放課後デイサービスの手伝いもしているという。

さらに地域の自主防災隊の隊員にもなっていて、防災訓練の企画・準備・運営を手伝っているというから、完全に日本の社会に溶け込んでいる。

「外国人の活躍しやすい静岡県になるために何が必要だと思いますか?」という質問に対して、この日系ブラジル人はこう答えている。

外国人が日本語能力を高めることと、外国人と日本人の寄り添う気持ちだと思います。私は、自分と自分の家族など愛する人を守るために、外国人にも日本語が必要だと考えています。

 

超賛成。
生活していれば、身内や子供が病気で倒れるとかの「まさかの事態」も起こる。
でも、いつでもどこでも通訳がいるわけではない。
「通訳を確保していない日本の社会に問題がある」と文句を言っても現実的にそれは無理。
だから、外国人が日本語を身につける必要がある。

この日系人は、「日本語が分からなければ入ってくる情報量が違います」と指摘するから、先ほどのベトナム人も日本語能力が高かったら、東京の公園でカルガモを捕獲しないですんだかもしれない。

また、この日系人は日本人の“過剰なおせっかい”にも言及している。

日本人の多くの人は、外国人を「支援してあげないといけない存在」、「助けてあげないといけない存在」というように考えがちだと感じます。しかし、私はそうではないと思います。

 

相手が子供ではなくて大人なら、自分でがんばるような支援をしたほうがいい。
周囲が手取り足取り教えると、かえって依存体質のダメな人間にさせてしまうこともある。
日本人が良かれと思っていろいろな情報を伝えていても、外国人の立場だと、「逆に情報が多すぎて、何が重要なのかわからない」ということもあるという。

この日系人は、「外国人の側も待っているだけではダメだと思います」と外国人に積極性を求めている。
たとえば地域の祭りについて、「参加したい人が参加するというのが基本であり、自分から行かなければ参加できないと思います」と言うあたりは、もう完全な日本人マインドだ。

 

日本に観光で来る外国人ならきめ細かいおもてなしが必要だけど、一緒に生活する外国人ならそうでもない。
日本人の側は、外国人が自分で自分を助けるような配慮や支援が必要になる。

多文化共生社会での日本の課題について、地方自治体の取り組みやマスコミ報道を見ると、「わたしたちが文化や言葉のちがいを乗り越えることが大事です」と、日本人の側が外国人に合わせることを重視するものが多いと思う。
たしかにそれも大切だけど、まずは外国人が日本の価値観や習慣を知ってそれを尊重することが求められる。

それは世界の常識で、東洋には「郷に入っては郷に従え」、西洋には「When in Rome、do as the Romans do(ローマではローマ人のように行動せよ)」ということわざがある。

多文化共生社会では「日本人が外国人に寄り添う心」ではなくて、「日本人と外国人の寄り添う心」が大事とする日系ブラジル人の意見には全面的に賛成だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。